明らかに伸びてるブログ

安定した情緒が欲しい

パラリンピックは希望

パラリンピックの閉会式を見て、率直におしゃれだなーと思った。表現どうのは分からないけど、ピコピコした音楽は面白かった。

個性を認め合って世界中に拡散していく、そんなテーマをNHKの方がおっしゃっていた。こういう時、自分の中の斜に構える精神が「個性の押し付けはいかがなものか」と囁いてくる。

恥ずかしい話だが、初めてパラリンピックを真面目に見た気がする。幻想かもしれないけど、パラリンピアンはみなさま真摯な方なのだろうと考える。

15%の方たちは、多かれ少なかれ不便さなどを日常生活で感じているのかもしれない。自分がもしそうだったと考えたとき、心のよりどころはどこになるのだろう、そんなことを考えたとき、パラリンピックは途轍もない希望になるのではと感じた。ハンデを抱えていても、可能性は十二分にある。きっと希望に満ちた大会なのだと思う。

実際、競技を見ると結果よりも、すごさの方に目が行ってしまった。車いすテニスにブラインドサッカー、競泳など、極め、削ぎ落して、感動するには十分すぎる選手たちの姿だった。24時間テレビが感動ポルノと揶揄されるが、確かにあれは「健常者の考える障碍者」を演出したに過ぎない。パラを見てそう思った。ハンデを知って同情、憐れむのではなく、理解して、ありのまま接するのが本当の多様性なのかな。

 

初めてこういう内容を考えさせられるくらいには感動したみたいだ。